右に同じく [日本語]
「右に同じく、だ。」
と、高城さんが、よく口にする。
あなたと同意見、という意味だが、
彼は、自分が右側にいるとき -
つまり、自分が 運転席にいて、
助手席にいる人物の話に頷くとき -
でも、やはり この表現をする。
そんな場面に 出くわすと、
わたしは、いつも、首をかしげる。
この場合、相手が 左にいるのだから、
「右に同じく…」なんて 言って、
違和感はないのだろうか。
いやいや、揚げ足を取るつもりはなく、
ただ 単純に、位置関係からして
ん?と 引っかかることはないのかな、と。
慣用句だとは 承知していても、
読んでいる わたしが
なんとなく キモチ悪いのだ。
「『右に同じく』って…
私、高城さんの左側にいるんですけどね。」
いちど、明神さんあたりに
冷たく 言い放ってもらえたら、
すっきりするんだけどな。
と、高城さんが、よく口にする。
あなたと同意見、という意味だが、
彼は、自分が右側にいるとき -
つまり、自分が 運転席にいて、
助手席にいる人物の話に頷くとき -
でも、やはり この表現をする。
そんな場面に 出くわすと、
わたしは、いつも、首をかしげる。
この場合、相手が 左にいるのだから、
「右に同じく…」なんて 言って、
違和感はないのだろうか。
いやいや、揚げ足を取るつもりはなく、
ただ 単純に、位置関係からして
ん?と 引っかかることはないのかな、と。
慣用句だとは 承知していても、
読んでいる わたしが
なんとなく キモチ悪いのだ。
「『右に同じく』って…
私、高城さんの左側にいるんですけどね。」
いちど、明神さんあたりに
冷たく 言い放ってもらえたら、
すっきりするんだけどな。
疎遠 [日本語]
人間関係において、「疎遠」というのは、
「なる」ものだと思っていた。
図ったわけではないけれど、
なんとなく機会がないうちに
時間が経っていた。
気づいてみれば、ここしばらくの間、
交流がなかったなあ。
そんな状態。
「疎遠」に、意思は(あるいは 意志は)
働いていなかった…はず。
ところが 最近は、自ら 疎遠に「する」らしい。
しかも、積極的に。
疎遠にする。
切る。
ブロックする。
ずいぶんと せっかちな話だ。
うっかり、従来の感覚で「疎遠」という言葉を
使おうものなら、相手によっては
「意図的に 離れたんか?」と、
疑われることになりそうだ。
「疎遠」のニュアンスが「疎縁」になりつつ
あるのだろうか。
「なる」ものだと思っていた。
図ったわけではないけれど、
なんとなく機会がないうちに
時間が経っていた。
気づいてみれば、ここしばらくの間、
交流がなかったなあ。
そんな状態。
「疎遠」に、意思は(あるいは 意志は)
働いていなかった…はず。
ところが 最近は、自ら 疎遠に「する」らしい。
しかも、積極的に。
疎遠にする。
切る。
ブロックする。
ずいぶんと せっかちな話だ。
うっかり、従来の感覚で「疎遠」という言葉を
使おうものなら、相手によっては
「意図的に 離れたんか?」と、
疑われることになりそうだ。
「疎遠」のニュアンスが「疎縁」になりつつ
あるのだろうか。
◯ー◯ ? [日本語]
先日、マイナンバーカードを受け取りに
市役所へ行ったときのこと。
ブースに案内され、
係の女性が、アクリル板越しに
出来上がったカードを こちらへ 見せながら
説明してくださるのだが、
マスクのせいもあって、聞き取りづらい。
「この目隠し部分は、◯ー◯に付いてるものなので・・・」
「??・・・えっ?」
「この目隠し部分は、◯ー◯に付いているものなので・・・」
???
やはり なんと言っているのかわからないが、
先に進めてもらうために、とりあえず、
頷いておく。
係の女性は、カードを つまみ、
カードが入っている透明の袋から 出し入れする様子を
私に示しながら、説明を続けた。
「ですので、カードを提示する場合には、
このように、◯ー◯に入れたままで 大丈夫です。」
ここまで説明されて、数秒後、
ようやく、相手の言葉が わたしの脳と
つながった。
「◯ー◯」=「ケース」かいっ!?
「ケース」を平板読み(---)していたために、
わからなかったのだ。
「ケース」は 頭高(!--)で 発音する単語、
というのが、わたしの認識だったから。
近年、特に 若い世代に
平板読みが はびこっていることは、
日々の生活の中で 実感している。
それでも、
これは 初めてのケースで(← ダジャレじゃないよ)
かなり戸惑った。
わたしは 初めて 遭遇したが、
最近は、「ケース」を 平板読みするのが
流行っているのかもしれない。
ただ、「公」の職に就いている以上、
職務においては、本来のイントネーション・言葉を
使ってほしい。
そう願うのは、求めすぎなのだろうか。
※ プライベートでは、どうぞ ご自由に。
もちろん、
地域により イントネーションが異なることは
承知している。
むしろ、市役所(町役場・村役場)という特性上、
地域特有のイントネーション・言い回しがあるならば、
そちらを優先した方が良い、
と 思う。
「説明」の目的は、
相手(そのイントネーションに慣れている市町村民)に
「理解してもらうこと」
なのだから。
今回の、「ケース」という単語を
聞き取れなかった、理解できなかった、
という程度では、
たいした問題は 起こらない。
けれども、相手が
お年寄りや 外国人だったら?
誤解されてはいけないような、重要事項
の説明だったら?
些細な単語から 始まって
従来とは異なるイントネーションの言葉が
増えていった結果、
伝わらないまま 物事が 進行していくことも
起こり得るのでは?
そんなことまで 連想してしまうのは、
たぶん わたしが 暇だから
なのだろう。
市役所へ行ったときのこと。
ブースに案内され、
係の女性が、アクリル板越しに
出来上がったカードを こちらへ 見せながら
説明してくださるのだが、
マスクのせいもあって、聞き取りづらい。
「この目隠し部分は、◯ー◯に付いてるものなので・・・」
「??・・・えっ?」
「この目隠し部分は、◯ー◯に付いているものなので・・・」
???
やはり なんと言っているのかわからないが、
先に進めてもらうために、とりあえず、
頷いておく。
係の女性は、カードを つまみ、
カードが入っている透明の袋から 出し入れする様子を
私に示しながら、説明を続けた。
「ですので、カードを提示する場合には、
このように、◯ー◯に入れたままで 大丈夫です。」
ここまで説明されて、数秒後、
ようやく、相手の言葉が わたしの脳と
つながった。
「◯ー◯」=「ケース」かいっ!?
「ケース」を平板読み(---)していたために、
わからなかったのだ。
「ケース」は 頭高(!--)で 発音する単語、
というのが、わたしの認識だったから。
近年、特に 若い世代に
平板読みが はびこっていることは、
日々の生活の中で 実感している。
それでも、
これは 初めてのケースで(← ダジャレじゃないよ)
かなり戸惑った。
わたしは 初めて 遭遇したが、
最近は、「ケース」を 平板読みするのが
流行っているのかもしれない。
ただ、「公」の職に就いている以上、
職務においては、本来のイントネーション・言葉を
使ってほしい。
そう願うのは、求めすぎなのだろうか。
※ プライベートでは、どうぞ ご自由に。
もちろん、
地域により イントネーションが異なることは
承知している。
むしろ、市役所(町役場・村役場)という特性上、
地域特有のイントネーション・言い回しがあるならば、
そちらを優先した方が良い、
と 思う。
「説明」の目的は、
相手(そのイントネーションに慣れている市町村民)に
「理解してもらうこと」
なのだから。
今回の、「ケース」という単語を
聞き取れなかった、理解できなかった、
という程度では、
たいした問題は 起こらない。
けれども、相手が
お年寄りや 外国人だったら?
誤解されてはいけないような、重要事項
の説明だったら?
些細な単語から 始まって
従来とは異なるイントネーションの言葉が
増えていった結果、
伝わらないまま 物事が 進行していくことも
起こり得るのでは?
そんなことまで 連想してしまうのは、
たぶん わたしが 暇だから
なのだろう。
踏んだり蹴ったり [日本語]
「踏んだり蹴ったり」という言葉がある。
けれども、意味を考えると、そこは
「踏まれたり蹴られたり」というところでは
ないだろうか。
数十年 生きてきて、今日 初めて、
そんなことに 気がついた。
けれども、意味を考えると、そこは
「踏まれたり蹴られたり」というところでは
ないだろうか。
数十年 生きてきて、今日 初めて、
そんなことに 気がついた。
ほぼほぼ [日本語]
いつからだろう。
「ほぼほぼ」という言葉が 使われ出したのは。
この「ほぼほぼ」は、「ほぼ」と比べて、
どちらが「100%」に近いのか。
それが、気になって、しかたがない。
「ほぼほぼ」は、「ほぼ」の強調なのか?
(「ほぼ」<「ほぼほぼ」)
「ほぼ」の「ほぼ」なのか?
(「ほぼ」>「ほぼほぼ」)
「ほぼ」が、メモリ「10」のうちの、「9」だとする。
「ほぼほぼ」が「ほぼ」の強調体であるならば、
「9.5」くらいを示しているのであろう。
「ほぼほぼ」=「ほぼ」の「ほぼ」であるならば、
「9」のうちの「ほぼ」 → 「8.5」くらいか?
言葉だけに注目すれば、
「ほぼほぼ」は「ほぼ」の強調体なのだろう、
と 思う。
一方で、「ほぼほぼ」を使っている人からは、
「ほぼ」と言い切る責任から逃れるために
「ほぼほぼ」と 言葉を重ね、語調を弱めて
あいまいにしている・・・
なぜか、そんな印象を受けることが、多い。
それで、その「ほぼほぼ」の度合いが、
わからなくなるのである。
結論としては、たぶん、どちらも 大差ないのだろう。
それでも、
「ほぼほぼ」を使う人に出くわすたびに、
問いただしたくなる。
それは、「ほぼ」よりも、多いの? 少ないの?
「ほぼほぼ」は、「ほぼ」よりも、強いの?弱いの?
でも、我慢する。
そんなことが気になる、という わたしの感覚は、
ほぼほぼ、理解してもらえないだろうから。
「ほぼほぼ」という言葉が 使われ出したのは。
この「ほぼほぼ」は、「ほぼ」と比べて、
どちらが「100%」に近いのか。
それが、気になって、しかたがない。
「ほぼほぼ」は、「ほぼ」の強調なのか?
(「ほぼ」<「ほぼほぼ」)
「ほぼ」の「ほぼ」なのか?
(「ほぼ」>「ほぼほぼ」)
「ほぼ」が、メモリ「10」のうちの、「9」だとする。
「ほぼほぼ」が「ほぼ」の強調体であるならば、
「9.5」くらいを示しているのであろう。
「ほぼほぼ」=「ほぼ」の「ほぼ」であるならば、
「9」のうちの「ほぼ」 → 「8.5」くらいか?
言葉だけに注目すれば、
「ほぼほぼ」は「ほぼ」の強調体なのだろう、
と 思う。
一方で、「ほぼほぼ」を使っている人からは、
「ほぼ」と言い切る責任から逃れるために
「ほぼほぼ」と 言葉を重ね、語調を弱めて
あいまいにしている・・・
なぜか、そんな印象を受けることが、多い。
それで、その「ほぼほぼ」の度合いが、
わからなくなるのである。
結論としては、たぶん、どちらも 大差ないのだろう。
それでも、
「ほぼほぼ」を使う人に出くわすたびに、
問いただしたくなる。
それは、「ほぼ」よりも、多いの? 少ないの?
「ほぼほぼ」は、「ほぼ」よりも、強いの?弱いの?
でも、我慢する。
そんなことが気になる、という わたしの感覚は、
ほぼほぼ、理解してもらえないだろうから。
○○になります [日本語]
ウエイトレス(あるいは ウエイター)が
澄ました顔で、皿を運んでくる。
「こちら、ハンバーグになります。」
へええええ。
これから、ハンバーグになるんだ?
まだ、ハンバーグではないんだ?
じゃ、いま、これは、なあに?
そう言いたくなるのを、毎度 毎度、
必死で こらえている。
澄ました顔で、皿を運んでくる。
「こちら、ハンバーグになります。」
へええええ。
これから、ハンバーグになるんだ?
まだ、ハンバーグではないんだ?
じゃ、いま、これは、なあに?
そう言いたくなるのを、毎度 毎度、
必死で こらえている。
ご利用できます! [日本語]
「○○をご利用できます!」
たまに見かける この言い回し、
どうにも 納まりが悪いように、感じる。
「ご」なんか、要らない。
「利用できます!」で良いではないか。
「ご」を付けるのならば、
「○○をご利用になれます!」「○○をご利用いただけます!」
となるのではないか?
たまに見かける この言い回し、
どうにも 納まりが悪いように、感じる。
「ご」なんか、要らない。
「利用できます!」で良いではないか。
「ご」を付けるのならば、
「○○をご利用になれます!」「○○をご利用いただけます!」
となるのではないか?
二度とやめてください [日本語]
警視庁ゼロ係 SEASON5 第3話。
スケート選手 逢沢莉穂が、小早川警視に言った。
「ヘンな冗談を言うのは 二度とやめてください」
二度とやめてください・・?
それを言うなら、
「ヘンな冗談は 二度と言わないでください」
「ヘンな冗談を言うのは 金輪際 やめてください」
では?
「二度と」は、‘否定’に掛かる言葉ではなかったか?
脚本が、そうなっていたのだろうか?
出演者が、自分の言いやすい言葉に 言い換えたのだろうか?
バラエティ番組のフリートークで出た言葉なら まだしも、
それが プロの脚本家の書いた(はずの)表現であったことが、
ショックだった。
スケート選手 逢沢莉穂が、小早川警視に言った。
「ヘンな冗談を言うのは 二度とやめてください」
二度とやめてください・・?
それを言うなら、
「ヘンな冗談は 二度と言わないでください」
「ヘンな冗談を言うのは 金輪際 やめてください」
では?
「二度と」は、‘否定’に掛かる言葉ではなかったか?
脚本が、そうなっていたのだろうか?
出演者が、自分の言いやすい言葉に 言い換えたのだろうか?
バラエティ番組のフリートークで出た言葉なら まだしも、
それが プロの脚本家の書いた(はずの)表現であったことが、
ショックだった。