SSブログ

感情 [日本語]

最近、「感情」という言葉が、
これまでよりも 広い意味で使われている
ように、思う。

「気持ち」「考え」という言葉を
当てはめるようなところにも、
「感情」という言葉が 使われ始めている。


「感情」という言葉に
気恥ずかしさのようなものを感じている わたしは、
この言葉を耳にする、目にするたびに、
ひとり 密かに うろたえる。

ああ、大きな声で、ソレを口にしている、と。
軽々しく人前で 発するのか、と。


触れてはいけない部分を
自分の意思とは関係なく 見せつけられているようで
ドキドキしているが、
そんな様子を気取られるのも 恥ずかしく、
そっと 目を閉じて、やりすごす。


「感情」という言葉には、
それだけのパワーがある。

そう感じているのは、わたしだけだろうか。




nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

と、申しますと? [日本語]

どちらか、あるいは おふたかたに、
濡れ衣を着せることになるかもしれない。

とはいえ、
おふたりの膨大な数の著書を 読み直してから 書く
根性はないので、
あらかじめ 伏してお詫びを申し上げておく。

間違っていたら、申し訳ございません。


東野圭吾さんだったか、誉田哲也さんだったか
忘れたのだが、
作品を読んでいて、わりと頻繁に出てくる ある言い回しが、
ずっと前から、気になっていた。

「と、申しますと?」


これは、「と、おっしゃいますと?」
と言うべきところなのではなかろうか、と。


・自分の発言に関して「と、申しますのは」と、補足する。

・目上の人物に対して、
「◯◯(目下・身内である人物)が 申しましたのは」と
フォローする。

このような場合の表現であるならば、気にならない。
「申す」は謙譲語だから。


「と、申しますと?」

これを、目上の相手、あるいは 親しくない相手に使うことに、
引っかかりを感じるのである。


目下の相手、親しい相手に対してならば、
「と、言うと?」(「と、言いますと?」)
で、いいだろう。

尊敬も 謙譲もなく、シンプルに。
必要ならば、丁寧に。
それだけである。


一方で、目上の人物の動作に対して
「申す」という謙譲語を 当てはめることが、
どうにも しっくりこない。

前述の通り、
「と、おっしゃいますと?」ではないのか、
と、見かけるたびに、引っかかるのである。


ならば、「と、申しますと?」を使えるのは、
どのようなときだろう。

どのような相手・関係なら、成り立つのだろう。

そう考えてみるが、
わたしには、そのような場面が 見当たらない。


もちろん、わたし自身が 誰かから
「と、申しますと?」と 聞かれたとして、
「失礼ではないかっ」と憤慨することはない。

そもそも、わたしの日常生活の中に
「と、申しますと?」という言葉が登場するような
緊迫した場面は、あり得ないのだが。

ただ ひたすら、
「と、申しますと?」というシチュエーションが
不思議なだけなのだ。


もう かれこれ 10年以上、気になり続けている。

と 申しますのも、
どうでもいいことが気になってしかたがないから
でございます。




nice!(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。